来年のNHK大河ドラマが『真田丸』というタイトルで、真田幸村が主人公だそうです。堺雅人さんが幸村を演じ、三谷幸喜さんが脚本ということで注目されています。
そこでみなさんにひとつ聞きたいのですが、幸村という名前ってヘンだよね~とか思ったことありませんか。名前に「村」って。いくら今とは違う名付け方をするっていったって「村」はねーだろ「村」は、みたいな。
そこで、知ってる範囲で真田幸村の名前について書いていこうと思います。
真田源治郎信繁が幸村になった理由
真田幸村は真田源治郎信繁という名前で、幸村という名乗りはしていません。 幸村という名前は、『難波戦記』という書物が初出のようですが、江戸時代を通じてその名前が普遍的になったようです。
もしかしたら、信繁と言えば武田信繁(武田信玄の弟)が連想されるために江戸時代では信繁という名が避けられたのかも知れません。武田信繁は、兄信玄に勝るとも劣らないほどの武勇を誇り、人からも慕われた人物です。
しかも、信玄の影武者になっていたほど似ていたそうですから、「信繁=信玄」という感覚が生まれても不思議ではありません。
そして、“武田信玄”という名は、家康が脱糞しながら逃げた三方ヶ原の戦い以来、徳川家にとって忌み嫌うべき、恐ろしいものでした。
だから、信繁という名前は避けられたのでしょう。
幸村の由来は諸説あり
では何故、幸村という名前になったのか。
幸村の「幸」は使われても不思議ではありません。「幸」は真田家の通字であり(祖父幸隆、父昌幸、兄信幸にも使われてます)、真田家の人物の名前に使われるのは当然と言えば当然。
問題は「村」なんですが、これがわからない。「村」という字が使われた理由がわかる史料は今のところ出てきてません。
史料がない以上、推測の域なんですが現在、なんとなく2つの説があります。
ひとつは信繁の姉の村松の字を取ったという説。もうひとつは、 徳川家を呪う妖刀村正から取ったという説。信憑性には欠けますね。
また、死ぬ前に本人が改名した、という話もありますが、それも立証できていません。
「幸村」の名は歴史のロマン
以上、書いてみましたが、気になるなら調べてみると面白いでしょう。新しい史料の発見、検証、立証というプロセスを経て、その理由を発見できたら、アナタは歴史学者です。ただ、ライフワークにする覚悟も必要かも知れません。
しかし、そのままでもいいような気がします。
「幸村」という名がミステリアスのまま残っているほうがカッコいいですし、そこに色々な想像を働かせることが、歴史のロマンそのものですから。